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つれづれ日記

元気

ずいぶんひさしぶりの日記になります。

ごぶさたしてすみませんでした。

僕はあいかわらず元気にやっております。

さて 本日のお題はその「元気」。

いま僕が働いている職場は 自然環境が豊かな郊外にあります。

コンピュータのソフトウエアを開発している会社なんですが、従業員が

びっくりするほど健康的なんです。

この業界では けっこう珍しいかも。

僕が所属する部署は特にそう。

大半の人がジム通いをしているのはいいとして 市民マラソン大会やら

いろんなスポーツイベントに参加している人が多いんです。

いちばんびっくりしたのは “エコ+フィットネス”という社内活動で、

オフィスは9Fにあるんだけど、エレベータを使わず 階段を使って行き来するの。

で、みんな 息が切れてない。

これって どういうこと?(゜o゜)

で、僕も 息を切らすわけにはいかない。

というわけで 負けずぎらいの私としては ついついムキに。

1週間に4回はトレッドミルで7km走り込み、屋内用のランニングシューズも

購入してしまいました(笑)

おかげかどうか分からないけれど 今年の春は鼻の調子がいいみたいです。

体調に気をつけながら せいぜいな若作り がんばりま~す。

ハノイの塔

すっかりごぶさたしていますが、元気でやっております。

この間 映画「猿の惑星<創世記>」を見たら、劇中に
[ハノイの塔] というパズルゲームが出てきました。

5本の杭があり そのうちの1本の杭には それぞれ大きさの異なる
お皿(真ん中に穴が開いている)が5枚乗せられています。
サイズが一番大きな皿が一番下で 上にいくごとに皿の大きさが
小さくなり 一番上の皿は一番小さいサイズです。

ここで問題。
お皿の置き方のルール(一番下が一番大きな皿で 一番上が一番小さな皿)
を変えることなく この5枚の皿を他の杭に移したいと思います。
移し変えるのは残りの杭4本ならどれでもいいのですが、
お皿の並べ方は上のルール通り。
つまり、一番最初の状態をそっくり再現するために お皿を何回移し変えたら
いいのか その最短の回数は何回か を競うのがこのパズル(ゲーム)の
目的です。

杭の数を5本ではなく3~4本、お皿の種類を5枚から3~4枚にすると
比較的内容が簡易になるそうです(それでも難しいと思うけど)

みなさんも お時間のあるときに試してください。

ちなみに 映画に登場するチンパンジーは
これをスラスラ解いてしまい そこから物語が展開していく
という筋書きになっています。

LIFE ON EARTH

原発事故。
空気に 水に 流れはじめた恐るべき物質。

でも 放射性物質のほとんどは 太古の昔から
もともと自然界に存在している元素。
宇宙が作られたときから存在していたものばかり。

有害な電磁波が飛び交う宇宙空間では 生物は命がない。
X線などの強烈な放射線のエネルギーが たちまちのうちに
ありとあらゆる細胞を破壊してしまう。

そんな死の星に酸素が生まれ 上空をオゾン層のヴェールが
包んでくれたおかげで 生物は繁栄した。
そのオゾン層が破壊されている。
オゾンホールの広がりで 北極では前年比四割減という勢いだという。

しかし オゾンはどんなときでも生命を育むわけではない。
殺菌剤として使われているくらいだから
本来は生物を殺す性質の強い 有害物質だ。

地球温暖化を防ぐために 原子力発電の計画が進められた。
ところが 生命の安全を確保しようとして 逆に毒物をまき散らしてしまった。

人間は 五感で感知できないものを 存在しているものとみなさない。
というより そこが境目になっているから いろんなものと共存できているし 
ときには自らをつぶしてしまうこともありえるのだろう。

白黒どちらか 答えを出せば問題が解決するほど明快なわけではなく
あやうい生と死のラインを行き来しながら揺らいでいるのが
最初から生物を取り巻いている シビアな現実なのかもしれない。

バランス。

不安定なやじろべえの上でけんめいにがんばっているからこそ
生きていることは素晴らしいのだ と あらためて思う。

あのとき それから

気がついたら 前回の日記から半年近く経っているなあ(汗)

すっかりごぶさたしてしまいましたが、変わらず元気でやっております。

久しぶりの更新で書きたいのは やはりあの地震のことです。

被災された地域にお住まいの方々にはお見舞い申し上げるとともに
一日も早い復興を祈っております。

僕の住む東京では 建物などへの直接的被害は比較的少なかったのですが
人々がうけた精神的なダメージは かなり大きいように感じました。
それまで まったく予期していなかった何かに襲われた驚きやあせり 
怒りの感情をどこに向けていいのかわからない そんな雰囲気が街に漂っています。

ある人が、雑誌で

「たとえ2万人が亡くなったって ああかわいそうだなとは思うけれど
 本当に心が引き裂かれる感情を味わうのは 広い世界の中で 
 自分がもっとも愛するひとりか あるいは数人の人たちが
 もう帰らない存在なのだと知らされること。
 今回は そういう思いを味わった人たちの思いのひとつひとつが
 とてつもなく多い数で集まってしまった。

 人は 自分がなにかに巻き込まれてはじめて本当の真実を知るもので
 それまでは やっぱり他人事としか受け止められないものなんだよね」

とコメントしていたのを読んで 言葉の意味を噛みしめています。

そう。
自分の場合も あのときはそうだった。
それから いろいろと変わっていったんだ…. 

事件のあとの あれから それから 
時間の流れで変わっていくだろう さまざまなものごと。

いま 僕たちにできるのは 自分が体験した何かからヒントを得て
想像力を働かせて 未来をすこしでもよりよいものにする。
それしかないような気がするのです。

ひとりでも多くの人が 少しでもはやく 穏やかな時間を取り戻せますように。


 
 


 

夕暮れて

ある用事の帰り、広島から東京へ向かう
新幹線の中から 夕焼けを見る。

西の方角はまだまだ明るいのに、東へ向かうにつれ 
景色はずんずん暗さを増す。
日没をはさみ、目の前の世界は わずか10分で一変した。

そういえば、この間 外国に行ったときは
高度2万フィートを行く飛行機の中で、10時間もの間、
昼が続いたり、夜が続いたのになあ。

まだ子供だったころ、夕方は特別の時間だった。
学校から開放され 泥んこになって友だちと遊ぶ
自分に帰れる一瞬 そのために 毎日を生きていた。

日は暮れても、翌日はかならず 明るい朝がやってくる。
不思議なくらい その信頼がゆらぐことはなかった。

きれいすぎる夕暮れの次の日は 雨になる。
おばあちゃんから そんな言い伝えを聞いたことがあった。
それでも、雨はいつかやむと思っていたし、切れた雲間から
光が差すことに なんの疑いも 抱いてはいなかった。

もうひとつ 
つい最近、気がついたことがある。

いつだっけ?
でも たぶん「あの時」から 長い長い間
自分は暗闇にいたのだということ。
天気すらわからない 暗闇である。

そして そのことに気がついた時
自分の周囲は すでに明るくなっていた。
暗闇にいたことを その暗闇にいた間 
意識していなかったのだ。

歳月の流れを感じるのはしゃくなので 
いまは 夕焼けにノスタルジーを抱かない。

いまでも
晴れても雨でも 日の出は必ずやってくる。

そんな ゆらがない信頼に微笑むとき 
僕は あの 小学生のころの自分に戻る。